音楽が廃れない理由は…

人が最後に心の拠り所にする所って何だろう…?

 

昨日ふと考えてました。

 

楽しいことがあった時どうしたい?

…大切な人にそのことを話して楽しみを分かち合いたい

 

悲しい事があった時どうしたい?

…大切な人にそのことを聞いてもらって、

“大丈夫だよ”って安心したい

 

でもその大切な人がそばに居なかったら…

 

その時に聴きたいCDを聴くと思います。思い出の曲であるかもしれません。

 

私は初めてのチャリティーコンサートを開いた時に

 

“人の心を救えるのは人の優しさと音楽だと思います”

 

とスピーチした。

 

今でもそう思います。

 

私は大切な人の心を励ましたいと思って心を込めて演奏したいとその時初めて思ったんです。

取ってつけたような言葉より音楽の方が相手の心にスーッと入る事ができるから。

 

私の住んでる香港は、非常に忙しい街で、みんな一生懸命生きてます。

 

その人たちが合間にイヤホンで音楽を聴いている姿を見て、心の拠り所なんだなあと見守ったりします。

 

心と言うのは、頭では処理できない感情があるのでたまに厄介です。

 

そう言う時に心を癒す音楽って有難いなあとしみじみ思いますよね。

それは人の心が音楽に流れているから…

 

人との心の触れ合いは力を生み出します。

 

 

心が温まって、また頑張ろうって思えるんです。

 

 

音楽聴くの忘れてた方、今日からでも聴いて見ませんか?

Recital Program Survey

暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしですか?

10月14日に香港シティーホールでバイオリンリサイタルを開きます。
より多くの方にクラシックをお届けしたいと思い、今プログラムを考えております。

やはり聴衆の皆様と一緒にコンサートを創りたいので、皆様に聴きたい曲のアンケートを取ることにしました。

香港にいる方は是非、香港にいらっしゃらない方もこういう曲弾いてほしいという曲がありましたら、是非是非お教えください。

よろしくお願いします。

My next recital will be on Oct.14th 2017
at Hong Kong City Hall.
My wish is I would like to create our recital together with audience…

So I would like to ask everybody which violin piece would you like to listen next time?

Please let us know 😊
People who will not be able to join us on Oct.14th,pls join us now to create our own recital !!

We are waiting for your suggestion 🤝

真のパフォーマンス

今日こんな記事をFacebookで見つけた。

この記事を目にしたことに感謝!!

知る人ぞ知るチョンキョンファのバッハ無伴奏ソナタとパルティータ全6曲を1日で通すというコンサートを批評した記事。

この大曲6曲を一晩で6曲、それもコンサートで披露するという事がどんなにハードルの高いことか!!
内容は、思った様に弾けなかった彼女が演奏を一旦停止して、もう一度その曲の冒頭から弾くと観客にアナウンスする。観客は、”そんな事気にしなくていいよ”と彼女にエールを送る拍手をする。そして素晴らしい演奏を観客に贈ったという話。

私はいつも思う。音程もミスも無いパーフェクトな演奏をするのは並大抵のことでは無いし、その様なパフォーマンスが出来る奏者には敬意を示す。でも実際その様な演奏を聴きにわざわざ自分の時間を割いてお金を払って行きたいか?私の答えは”NO”。

チョンキョンファさんのこの演奏を実際聴いたわけでは無いので何とも言えないが、聴衆を魅了してしまう彼女のコンサートを聴いてみたいと思った。

パーフェクトでソツのない演奏に魅力を感じない。ミスがあってもこの人でなければこの演奏は出来ないという何かオリジナリティのある演奏に惹かれる。

パーフェクトな演奏なら、コンピューターがやってくれる。

オリジナリティのある演奏だから観客はわざわざコンサートに足を運び、ライブ演奏を聴きに行くのだという事を改めて実感させられる記事だった。

クラシックが今に至るのは、人の心を揺さぶるオリジナリティに溢れてるからだと思う。

スクリーン・オーディション

大変ご無沙汰しておりました。

日々の香港フィルでのコンサートに加えて、4月の香港大学でのリサイタル、5月の香港フィルの海外遠征、そして6月のオーディションと練習するもの山積みでした。この数ヶ月、弾いて弾いて弾きまくりの音大生のような生活してました。

オーケストラのオーディション

本日のテーマはオーケストラのオーディションについて、です。皆さんも「オーディション」と言う言葉を耳にした事があると思いますが、

オーケストラのオーディションがどのように行われるのか?

をお話したいと思います。

色んなオーディション形態が有りますが、そのオーケストラの楽団員になりたい場合、 「スクリーンオーディション (Screen Audition)」が一般的です。

スクリーンオーディション は 目隠しオーディション(Blind Audition)” とも呼ばれ、審査員とプレーヤー(演奏者)との間にスクリーンと呼ばれる大きなどんちょうや衝立で仕切りを作り、審査員に誰が演奏しているのか分からないようにします。

こんな感じです。

どうしてそんな事をするか?それは、オーディションで性別や身体的な差別が無いように、またオーディションを受験する奏者と審査員とがたまたまお友達だった場合、不当な合格を阻止しより公平なオーディションを行うためです。

スクリーンの向こうに、今後の音楽家人生を左右する審査員がいる、というわけです。この緊張感は並大抵のものではありません。

オーディションでは、事前に決められた課題曲があります。スクリーンの向こうの審査員にたとえばバイオリンですとバイオリンコンチェルトのバイオリンのソロパートなどです。バロックから現代曲まで、様々な曲が課題曲として指定され、受験者はオーディションの日までにすべての曲に習熟していなければなりません。

オーディションでは、弾いているとスクリーンの向こうから「サンキュー」=「今弾いてる曲やめて、次の曲弾いて」という恐怖のセリフがかけられることが普通です。その「サンキュー」は「うまく弾けてるから次の曲でそれが本当かを確かめたい」という意味のときもあるし「下手だからどんどん弾いてサッサと帰っていいよ」の場合だってあるわけです。

また、受験者はオーディション中に発話することが一切許されません。声が聞こえてしまうと、どの受験者なのかが判別可能となりスクリーンを間に挟んでいる意味がなくなるからです。

このように、オーケストラのスクリーンオーディションは極度の緊張のなか行われるため「死刑台に登るような気分」と評されることがあります。

私のスクリーン・オーディション

今月、オーディションを受験しました。

集合時間に現場入りします。そして練習室で演奏順番を決めるクジ引きを待ちます。アメリカではこのクジは、自分で引きますが、そこには色んなアレンジがあります。

今回クジ運の悪い私は1番を引いてしまい、ウォームアップ(手慣らし)も心の準備も無いまま死刑台に連れてかれました。そこは、コンサートホールとは似ても似つかない雰囲気の暗い、絶対風水悪そうって感じのだだっ広い部屋。ピアノと譜面台と椅子が無造作に置いてある。

ピアノと音を出して調弦して、黒いスクリーンに向かって弾きだしました。コンサートでは大概、音楽のことに集中出来るのですが、オーディションではいつもより気が散るんです。コンサートではお客様の表情を見ながら演奏できますが、スクリーンオーディションでは聴衆の表情を伺うことはできません。

また、課題曲についてもハードルが高い。曲目はオーディション主催者(オーケストラ)側が決めます。こちらが得意な曲を勝手に弾くことはできません。また課題曲はオーケストラ・スタディ (通称オケスタ、orchestra excerpts)といって、オーケストラ曲の一部分だけ、しかも特に難しい部分だけを抜粋したもので弾きにくいんです。

まずはピアノの伴奏付きでヴァイオリンコンチェルトを弾きました。コンチェルト部分をピアノで簡単に置き換えてある曲です。コンチェルトはクラッシック(大抵モーツァルト)から1曲、ロマン派から1曲を選択します。その後、審査員が指定するオケスタを弾きました。

恐怖の「サンキュー」を何度か聞きながら、弾いてる途中で’「そうだ、私このスクリーン・オーディション苦手なんだ」と思い出しました。私はコンサートが好き。オーディションは嫌い。しかし時すでに遅し。嫌いなオーディションでも出来るだけ集中して弾くより仕方ない…

事件発生

何度か恐怖の「サンキュー」を聞いたあと、審査員が次に弾くべき曲名を伝えます。しかしすぐ近くでカラスがカァカァと大きな声を出して過ぎ去っていき、審査員が告げた曲名が聞き取れませんでした。

受験者は「一言も」言葉を発してはいけません。声の主がわかればスクリーンオーディションの公平性を損なうからです。「すいません、カラスが鳴いて聞き取れなかったのでもう一度曲名を言っていただけますでしょうか?」とは言えないのです。

ふつう、このような事件が起こったときに受験者のちかくにオーディション関係者を配置しますが、今回のオーディションにはそのような人がいませんでした。

審査員が発した音声のかすかな断片をもとに、どの曲名を言っていたのか必死で考えるも出てこず。そこで潔くオーディション部屋を出て関係者に課題曲が聞き取れなかった旨伝えて一件落着。なんとか無事オーディションを終えることができました。

しかし音楽の世界、芸事の世界は厳しいです。魅せるパフォーマンスをするということは、ときに死刑台に乗るほどの恐怖と隣合わせであることもあるのです。

スクリーンオーディションというと真っ先に思い出すことがあります。私の知り合いに、オーディション30個受けて全て落選という方がおられます。31回目に受けたオーディションで、ついに合格。そのオケが世界のボストンシンフォニーの首席のポストです

オーディションに落ちたからと言って、決して自分がダメなプレーヤーだ、ということはありません。その日の調子もあるし、受験者の感性がオーディション側のキャラクターに合ってない場合もある。それはきっと、運命の人に出会うのと似たものがあります。オーディションに落ちたからといって諦めずに、次から次へとチャレンジした者にだけ明るい道が開けるのです。それまでに厳しい鍛錬を積むことは前提となりますが。

Acoustic of Museum

I will play a recital  at Museum of Hong Kong University.

Now my dream comes true. I always wanted to play in Museum.

It is Chinese style setting .

They have high ceiling and wooden floors.

Perfect for me… When I went there to do sound check, I was more than happy.

Sound carry through the museum.

I change the program because of this acoustic.

It is very different from concert hall. 

Closer to the audience, so I can communicate with them better .

I hope I can use this fantastic acoustic to make the music more live and have different experience .

Well, if you have time, please join us.

Let’s have fun:)




Wagner Siegfried

Happy New Year!

明けましておめでとうございます。

今年も年始早々ワーグナーリングサイクルの第3弾、Siegfried の練習が始まります。

良し!お勉強をしようと思いきや、楽譜が分厚くて、それを幕毎に分ける所から始まります。137ページも有るんですよ!

第一幕 90分

第ニ幕 80分

第三幕 90分

だから仕方ない。


私、こう見えて、こう言う事務仕事が好きなんですよ。

楽しくシーン分けをしながらホチキスで幕毎に楽譜を作ってたら、ホチキスの針が指に刺さった〜〜。

それも左指😭

それから譜読みに入り、分からないドイツ語を辞書でしらべたり、DVDでストーリーを勉強するとかやる事山積み。


明日からのマエストロヤープとのリハーサル楽しみです。

皆さん、是非是非聞きに来てくださいね!

KUMAMOTO -教えてくれた事ー

KABテレビでKUMAMOTOの生演奏をする為に帰省した。

7月の熊本訪問からずーっと心のモヤモヤが消えなかった。

熊本の為に何ができるんだろう?と考えても何の答えも見つからなかった。熊本に帰ってどんな風だった?と聞かれても、何を言っても違う気がして何も言えなかった。

そのままテレビ局に突入。

当たり前だけどテレビ局の方々はあの怖い地震を経験されている。

スタッフの方々はただ仕事をこなしているのでは無く、とても分かりやすい進行表を用意してくださり、リハーサル、本番でもこれ以上無いだろうと言う場を提供してくださった。みんなで良い番組作ろう!と言う空間だった。
心を込めてKUMAMOTOを演奏したい。ただそれだけだった。

そうしたら聴いてくださった人たちが、心で聴いてくださった。震災前よりも感慨深い曲になったと言ってくれる人もいた。ほんの一瞬でも心が共感出来た事が嬉しかった。

私には大事な者を失った経験がある。ここで頑張らないといけないと頭では分かっていても、どうしても心と身体が動かなかった時期があった。

それを少しづつ癒してくれたのが、人の優しさと時間と音楽だった。

私ができる事で少しでも私の大事な人達の心に寄り添えたら…と思った。

今回は、熊本の方達から大事な事を教えて頂きました。

私にできる事をやれば良い。

素敵な熊本を大切にしたいと思った。

健太(チャウチャウ)の恋

ウチには超ハイパーで、気の良いチャウチャウ犬、健太がいる。

まだ2歳。ベイビーベイビーしてて、おもちゃで遊ぶのが好き。可愛くて仕方無いのだが、最近様子がおかしい。

健太が毎朝寝室のドアを朝早くからノックして、”バルコニーに出たいんだ〜〜”ってせがむ様になった。無視して寝ててもバルコニーに行けるまでドアをノックし続ける。

バルコニーを出ると、いっつも同じ方向を見てて、突然”ヒューンヒューン”って声を出す。

何だろうと思って一回健太目線でその方角を見た。

な、何と!違うタワーの窓越しに白い小さな犬が居る。あちらも健太に向かって吠えてる様子。まあ、何て吠えてるのかは??

もしかしたら、”うざい!どっか行け!!”って言われてたら、ショックだなあ。


よく見ると白い犬が居た!

朝から晩までずーっとその方角の彼女を眺める様になった。見てる方まで切なくなるほど、ずーっと見てる。

うちのお手伝いさんも見かねてその犬のこと調べてきてくれた。女の子らしい。トホホ…

最初は犬も恋するんだあって感動するだけだったが、来る日も来る日も窓ばっかり見てる健太の一途さに私が落ちてしまいそうになる。

最近草食系とか本物の恋愛が怖いし、面倒くさいと言う若者が続出してると聞く。健太みたいに一途に頑張ったら何とかならないものもなるんじゃ無いかなあ〜と思うのですよ。

まあ、何とかなったらまたご報告しますね。

熊本-報告-

7月に熊本に帰って帰省した時に熊本城と益城を訪問した。

チャリティーコンサートを応援して下さった方々の為にもその時の状況伝えたいと思って、何度もトライしたのだけど、どうしても書けなかった。

写真でその光景は見ていたし、身近な人達からお話も聞いていた。でもその光景を目の当たりにしたら、想像をはるかに超えていて言葉が見つからなかった。

実際の姿は写真よりずっと酷い。熊本のお友達にその写真を迂闊にも見せたら、友達はその時のことを思い出して泣いてしまった。

避難所で暮らしてる被災者の方のただただ外を眺めて微動だに動かない様子を見たときから、書けなくなってしまった。

随分時間が経ちましたが、見て聞いたことだけでもお伝えしようと思います。

7月の雨の中、友達の運転で震源地に一番近かった益城を訪れた。大地震が起きて早3ヶ月が経って居るのに、大雨で地盤が緩んでいる事もあって、その時も一瞬にして家が崩れ去る様子が見られた。友達が、”この家は2日前はまだちゃんと建っていたのに見る影もなくなったなあ”と、普通に言うのを聞いて言葉も出なかった。
戦後の焼け野が原みたいだった。
私がレコーディングしたホールの周りがまさにそんな風景だった。


熊本城の周りを歩いた。
見上げた天守閣の背が低い!!
落ち込んでしまった。実家が熊本城の近く、そして高校は熊本城の敷地内にあるという所で育った私には、この光景が一番ショックだった。小学校の写生大会も遠足も熊本城だった。決して派手ではないけれど、威厳がある熊本城に見守られながら育った私には心の支えが傷ついた様で悲しかった。


私の幼馴染は、突然の地震で寝るところも失った住民を自分の料亭に20人以上泊めていました。自分の睡眠時間も削って被災者の方々の物資援助のため今でも動き回っています。”気づいたら10キロ痩せてた!!”って言って静かに笑ってました。

同級生の女子は地震直後、水の配給場所に3時間並んでやっとお水を3リットルもらったと言います。一回水洗トイレのレバーを引くと12リットルの水が流れる事をその時に知り、水の大切さを知ったと言います。

この地震で断水、家自体が壊れた事により、トイレが大変だったといろんな人から聞いた。犬のフンさえ普段は落ちてない熊本が地震直後は汚れてしまったらしい。その話を聞いたとき、これが事実だよなあと思った。書こうかどうか迷ったけど、事実はそのまま伝えたいと思った。

子供達は突然来た地震の恐怖を味わい、そして避難所暮らしを長い間余儀なくされてしまった。学校も閉鎖され、話す相手もいなくて徐々に発狂する子供も出てきたそうだ。夜に地震が来たために、夜にトイレに一人でいけなくなった子供も多くなったと言う。見かねた大学生が、子供達のために、安全な学校を借り、ボランティアで学習会を開いた。
久々に子供達から笑顔が見られたと聞いた。暗い話の中でこの話は、なぜかとても温かくて印象に残った。
今回の地震で役に立ったもの。それはウェットティッシュだったそうだ。

第一回、報告おわり

嬉しいメッセージ

Dear Ms Tanaka,
Thank you very much for your wonderful performance. We were very moved by the beautiful violin playing. The last song was especially touching. The melody was mixed with sadness and hope. We express our deepest sympathy and condolence towards the victims in the earthquake, and sincerely hope they can stay strong through the toughest moments. We, as Japanese culture lovers and part of the global village, will do our best to support our friends affected in Japan. 
We look forward to listening to your performance again. 

これは香港大学の生徒さんがチャリティーコンサートの後に送ってくれたメッセージ。

これ程嬉しい贈り物は有りません。大変だったけど、熊本の方たちへの想いも伝わっているみたいだし、本当に最後まで頑張って良かった。

音楽ってスーッと聴衆の心に浸透するから思いがより伝わるんですよね。

これからも頑張ります。

ちなみに the last song は自作の Kumamotoです。
Thank you for sharing the music with me.